Someone Like You

リーダーシップの旅に出ている彼。 『社会の役に立ちたい』 もがく、とある日本の若者。不定期に書評とか戯言とか。

リーダーシップとは何か(2/2)

リーダーシップを考えてみる、後編シリーズ。

 *前半はこちら:リーダーシップとは何か(1/2) - Someone Like You

 

3、リーダーシップを身につける

 

  リーダーシップの基本的な姿勢や態度は、身に付けることが困難なテクニックなのかというと、個人的意見では、簡単ではないが時間をかけて根気よく取り組めば誰でも身に付けられるものだと思っている。例えば、100メートルを10秒以内で走ったり、宇宙に飛び立つロケットを設計したり、というようなことは誰にでもできることではない。生まれつき体力的・頭脳的に恵まれていることが前提で、努力に努力を重ね、さらにその中から選ばれた人だけが達しうる領域である。少なくともスポーツはその要素が大いに強い。

 一方、リーダーシップのスキルには、人並み外れた強靭な体力や優れた頭脳は必要ない。必要なものは、失敗を恐れない精神や、計画を立てて前向きに実行すること、多彩な個性を持った人と適切にコミュニケーションすること、そのぐらいである。従って、リーダーシップを身につけるには、かかる時間に個人差はあれど本人の努力次第で身に付けることが可能と考えている。
 その前提で、リーダーシップを身につける上で重要なキーワードがあると考えた。「強い自己信頼」「人間力の形成」「社会への貢献」この3つを挙げたい。リーダーシップを発揮する人間は、この3つにこだわり、行動し、形にすることで、自分や他人、社会に対して強い影響を与えることになる。


「強い自己信頼」
 自分を知り、自分を理解し、自分を好きであることが 「自己信頼」であることを指す。思想家であるエマソンの提唱した考え方である。 その状態になれて初めて、人間は自分を信頼することができ、 自らの進むべき道が見えてくる。 だから「一度信頼したら、断固としてその道を進め」と エマソンは言っている。彼のいう自己は狭い意味での自己・エゴではなく、真の自己、自分の中に住む普遍的な存在を指している。自己信頼をできる人間は、人間の付点的な境地を知っていて、自分の行動を信じることができる強い存在であると言っている。
 それではエマソンの言う「自己信頼」の状態にどうやって達することが出来るのか。 そのヒントが「自己懐疑」が起点になるのではないかと思う。自分の行動は本当に正しいか、 自分は今のままでいいのか、 自分は自分を裏切ってはいないか、 自分が真実だと思っていることは本当に真実なのか・・・ この問いの繰り返しが結果的に「自己信頼」を生み出すのではないか。考えれば考えるほど自分の行動は正しくない気がしてくるし、 一歩を踏み出そうとする度に毎回戸惑いが生じる。 これをやり続けると最終的には、自分は何もしない方がいいんじゃないか、みたいな気分になってくる・しかし、その捉えようのない不安を常に抱えておくことが実は大事なのではないかと感じるし、リーダーシップを探す旅の一番最初の風景を見ているようだ。
人間力の形成」
 私たちは寺子屋を通じて「人間力」を身につけてきた。世の中は様々な考え・見方であふれている。自分は常識があるから、それは常識に照らし合わせて正しいか否かを判断する。しかし、他の人が同じように思っているとは限らない。その違う考え方を認識・受容することができるかどうか。人間は本質的に矛盾だらけの存在であることを理解ながらも、どうしょうもなく、価値が無く、すべては無意味だとは思わずに、他人の違った考えも尊重・リスペクトして、人間の存在そのものに敬意を払うことができること。自分を含めた人、まわりの人々に対して、愛おしさを感じること。これが人間力を磨くことに繋がる。
多摩大教授の田坂広志氏は、人間力のことを「自分の心、相手の心、集団の心、その心の動きを感じ取る修行を通じて、人間力を高めることができる」と言っている。私たちが寺子屋を通じて学んできた歴史、芸術、哲学、教養。これらを学ぶことは、人の営みに対する理解と尊敬を深める方法の一つである。人間そのものを理解することにより、結果自らの人間力を身につけることにつながっていく。

 『論語』に曰く,「人の己れを知らざるを患えず,人を知らざるを患えよ」とある。それと対になって,「己れを知ること莫きを患えず,知らるべきをなさんことを求む」ともある。

他人が自分を認めないのは問題ではない。自分が他人を認めないほうが問題だ、という意味である。ものの捉え方には70億通りあるように、ものの表現にも70億通りある。自分の望み通りの反応が返ってきたとしても、実際に自分の望み通りに相手が思っているとは限らない。相手が自分を認めてくれているか、相手が自分をわかってくれているかを図る物差しはない。その状況や相手の価値観を理解した上で、いかにして自分をコントロールするか。自分にできることは、自分として自分なりの反応をするしかない。

 どんなことも、まず自分から。私は自分の人生を生きているのである。それを理解してこそ、人間力が培われていくのだろう。


「社会への貢献」
 自己信頼を持って、人間力を形成できたのち、何ができるようになるのか。それだけではリーダーシップを最大化するには心もとない。結果論ではあるがその真価を問われるのは「社会への貢献」にどれだけ人生を傾けられているか、なのではないかと思っている。ここでいう社会とは、マクロからミクロから大きな幅があっていいと思う。社会にとって何が問題であるかを理解し、その問題に対して自らの資源を費やすことで解決に向けて貢献をいかにできているのか。活動それ自体にはもちろん意味と価値はあるが、それ以上にその状態を考えることも意味がある。

 リーダーには、社会の一員としての自覚と、本当の豊かさを実現する社会イノベーションへの貢献が自然と求められている。社会に対するイノベーション、つまり、他の人や他の資源だけでは解決できなかった社会の問題を解消することが求められる。リーダーシップを発揮することで、己の可能性と限界、周囲の期待と不安を感じるとことができる。そして、イノベーションをおこすうえで必要な資源と資源の結合を有機的に引き起こすことを指南することができる。つまり、問題を解決するためのプロセスを、問題が解決された未来を、誰よりも鮮明に見えている状態になる。

 社会へ貢献すること、社会の問題を解決すること、そのために必要な行動を自らの意思の元、実行していくことができる。それ自体は、大きなインパクトはいらない。影響力はその時の時代や環境が決める。その動き出しそれ自体がその人のリーダーシップにはとても意味があり、その一人一人のリーダーシップの塊が、これからの時代には強く求められ、重宝されていくのだろう。それくらい社会は複雑に絡み合い、多様な様子を見せているということであろう。


 ここまで「強い自己信頼」「人間力の形成」「社会への貢献」これらが自らの中から見出せた時、リーダーシップを発揮していることをまとめてみた。リーダーシップを身につけることの起点は、すべては自分の中にあり、誰かに限定されているものではない。人間すべてに許された、人間の資質である。

4、リーダーシップを身につけた先に待っているもの

 ここまでまとめてきたとおり、リーダーシップは誰かの特別な力、先天的なものではなく、誰しもがいつからでも会得することができる。その道は険しいが、その苦難を乗り越えたからこそ、人間として得られるものが変え難いものになる。
 リーダーシップは,問題を解決することのために動き出すことである。そしてその問題の大小は問われない。自分ひとりでは、技能や裁量を超えて解決できないこと,あるいは解決してはいけないことを解決するために,技能がある、裁量を持つ人を動かして, 一緒に解決しようとしていくことでできる。

 ウォレン・ベニスの著書『リーダーになる』には、本当の自分を見つけること、そして育てることができればリーダーになれると言っている。その過程において「現状を打破し」「基本を理解し」「自分を知り」「世界を知り」「直感に従い」「自分を広げ」「混乱をくぐり抜け」「人を味方につけ」「未来を作る」これらを通過したとき、リーダーになれると説く。なるほど、確かにこの経験を積んでいく中で、自分の中のリーダーシップに気づくこと葉体感している。

 ここまでまとめていくと、一つの結論らしきものが頭をよぎる。それは、私たちは、自分たちの手で未来を作りたいのではないだろうか、ということである。誰かの作られた未来、計画書の中で生きていく人生よりも、自らのリーダーシップで見出していく未来の中に明るさや楽しさ、期待を感じているし、それを感じたいのではないだろうか。
 未来とは言葉を変えると「夢」である。リーダーは、自分だけでなく他人や組織、社会のそれらの夢を育てることに全力を注げる人なのではないだろうか。

 少し話がそれるが、野田氏の考える思想のひとつに「ノブレス・オブリージュ」がある。ノブレス・オブリージュとは貴族、あるいは高貴な者の義務と解釈されている。社会的地位の高い者はそれにふさわしい義務を負ってしかるべきであり、彼らは一般の人よりも多くの規範に従うなどの責任を担う。一方、日本には貴族階級が存在しない。民主主義の中ではノブレス・オブリージュの概念はなじみにくいかもしれないが、たとえ社会的な地位のない庶民でも、家族や近所のようなごく小さな集団でリーダーとしての地位と責任を負う機会がある。そういう意味では、誰もが直面せざるを得ない概念でもある。 
 リーダーシップを身につけた先、このノブレス・オブリージュが自らの糧になっている。高貴さや貴族性を身分や地位でなく個人の魂の輝きと捉えるならば、組織や集団の長のみならず、ありとあらゆる人にとってこの概念は精神的な支柱となり得る。私たちは人生において、いろいろな力をギフトとして授かっている。ギフトとは、自分で勝ち取ったと思っても、その大部分は周囲の人々の協力があってこそ得られたものである。このノブレス・オブリュージュの精神性を理解することは、ギフトにおける世界共通の原則を理解したことと同義である。それはもらったギフトは返さなくてはいけない。返す相手、それはギフトくれた相手にではなく、他の人や社会に、である。この循環こそが、リーダーシップが社会にもたらす価値であり、リーダーとして示したい姿勢である。ギフトを社会に返す「返礼の旅」の過程で、さらに社会のリーダーへと個人が成長していく。


 リーダーシップ。それは全人類のためであり、全人類のものである。そしてリーダーシップを発揮できた時、社会の中で生きる意味を見出せることになるだろう。

 

終わり。