Someone Like You

リーダーシップの旅に出ている彼。 『社会の役に立ちたい』 もがく、とある日本の若者。不定期に書評とか戯言とか。

【書評】 機械との競争

 

5月読書会の課題図書。

内容自体は総論的ではあるが、ここから派生する不確実な未来に向けた備え、をテーマにすると途端興味深いディスカッションテーマに変貌する。

 

読書会の写真はこちら。

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【作者紹介】

エリック・ブリニョルフソン(Erik Brynjolfsson)

MITスローン・スクール経済学教授。デジタル・ビジネス・センターの
ディレクター。スローン・マネジメント・レビュー誌編集長。
著書に『インタンジブル・アセット』(ダイヤモンド社)、
『デジタル・エコノミーを制する知恵』(東洋経済新報社、共著)など。
 
アンドリュー・マカフィー(Andrew McAfee)
MITスローン・スクール、デジタル・ビジネス・センター主任リサーチ

サイエンティスト。著書に“Enterprize 2:0"。

 

【本書の要旨】

・アメリカにおいて、なぜ景気が回復しても失業率がそれに比して下がらないのかという問題意識を前提に、

 その理由として、技術の進歩が早すぎて人々が付いていけないという「雇用の喪失」説を主張・検証するのが本書。

 

・テクノロジーの進展が指数関数的で、次の仕事を創造して労働者をシフトさせどる時間がないために、失業してしまう、という問題。

 

・それは「デジタル技術の加速」のため。生産性の向上をもたらしたが、ついていけない人々を振り落としてしまった。

 ある人たちは多くのものを得て、別の人たちは少ないものしか得られずに終わる。それが過去15年に起きたこと。

 国全体の富は増えたが、多くの人にとって分け前は減った。

 

 

・指数関数的に進むコンピュータの進歩は、雇用に二つの大きな変化をもたらす。
  一つは、雇用の総量が減ることだ。
 あまりにもコンピュータが人間を置き換えていくスピードが速く、置き換えられる労働者の数が多いので、
 置き換えられて仕事にあぶれた人々のために新たな雇用が生まれるだけの時間的余裕がないからだ。
 
もう一つは、雇用の二極分化が進むことだ。
 著者によれば、どうしてもコンピュータに置き換えることが難しい雇用には二つのタイプがあるという。
 一つは、創造的な仕事で、今まで誰も考えつかなかったことを想像することはコンピュータにはできない。
 創造的なビジネスのアイディアを出す経営者や、感動的な歌を作る作曲家はコンピュータには置き換えることができないのだ。
 もう一つは肉体労働なのだという。客の注文に応えて料理を運び、テーブルを拭くウェイターをロボットに置き換えることは難しい。看護師や配管工も同じだという。
 このように、本書の主張はコンピュータが人間の領域を浸食することにより、雇用は減り、その減った雇用は、高所得を得られる創造的な職場と、低賃金の肉体労働に二極化するということだ。

 

【本書の内容メモ】

 

第1章:テクノロジーが雇用と経済に与える影響

 

・彼らは技術革新のペースがスローダウンしたからだと主張するが、私たちはペースが速くなりすぎて人間が取り残されているのだと考える。

 言い換えれば、多くの労働者がテクノロジーとの競争に負けているのである(p.20,21 アメリカ経済の停滞原因についての議論)

 

・最も重要な生産要素としての人間の役割は減っていく運命にある。

 ちょうど農業において、トラクターの導入によって馬の役割が最初は減り、次いで完全に排除されたように(レオンチェフ

 

・アメリカではディスカバリーと呼ばれる証拠開示手続きにより公判前に双方が証拠を開示し、

 そのレビューを人手で行っているが、これをデジタル技術に移行すれば、弁護士一人で従来の500人分の仕事をこなせるようになる。

 

第2章:チェス盤の残りの半分にさしかかった技術と人間
 

人間がしかるべき比較優位を維持できるものは何だろうか。いまのところ人間がまさっているのは、じつは肉体労働の分野である。

 人型ロボットはまだひどく原始的で、こまかい運動機能はお粗末で、階段を転げ落ちたりする。

 したがって、庭師やレストランのウェイターがすぐに機械に取って代わられる心配はなさそうだ。

 

・肉体労働の多くが実際には高度な知的能力をも必要とする。

 たとえば配管工や看護師は一日中パターン認識能力や問題解決能力を要求される仕事だし、看護師の場合には患者や同僚との複雑なコミュニケーションも仕事のうちである。

 

・人間は非線形処理のできる最も安価な汎用コンピュータ・システムである。

 しかも重量は70キロ程度しかなく、未熟練の状態から量産することができる(NASAの文書)。

 

2004年、詳しい調査に基づいて書かれた本では、車の運転は高度なパターン認識に基づいており自動化はできない、と主張されていた。

 しかしわずか6年後の2010年、グーグルは自動運転車による1600キロの自動走行に成功する。

 そのほか、機械による自動翻訳や、高度なコミュニケーション能力を有するコンピューターなどが紹介されているが、

 ひとむかし前には人間にしかできないと考えられていた分野においてさえ、コンピューターによる侵攻が進んでいることが分かる。

 

第3章:創造的破壊~加速するテクノロジー、消えてゆく仕事

 

・技術の進歩は、すべての人の所得を自動的に押し上げる上げ潮のようなものではない。

 富の総量が増えたとしても、勝ち組と負け組ができることはありうるし、むしろそうなることの方が多いのである。

 しかも負け組の方が少ないとは限らないのだ。(中略)労働人口の90%が負け組になることだってあり得る。

 

・多くの研究で、スキルの高い労働者に対する相対需要の増加は、技術の進歩とりわけデジタル技術の進歩と密接に相関すると報告されている。

 

・スキルと賃金の関係が、最近になってU字曲線を描き始めたという。つまりここ10年間、需要が最も落ち込んでいるのは、スキル分布の中間層なのである。

 最もスキルの高い労働者が高い報酬を得る一方で、意外なことに、最もスキルの低い労働者は、中間的なスキルの労働者ほど需要減には悩まされていない。

 

・帳簿の記帳、銀行の窓口係、工場の半熟練工などの仕事は、庭師や美容師や介護ヘルパーの仕事より自動化しやすい、ということだ。

 つまり身体の動きと知覚をうまく組み合わせる必要のある肉体労働は、基本的な情報処理よりはるかに自動化しにくいことが過去25年間に判明している。

 

第4章:ではどうすればいいか

 

・所得の再分配をすれば、不平等の物質的なコストは改善されるだろうし、それ自体は悪いことではないけれども、

 経済が直面している問題の根本原因はすこしも解決されない。再配分すれば失業者の生産性が上向くわけではないのだ。

 

住宅ローンへの巨額の補助金は打ち切るか、大幅に削減すべきである。

 このコストは年間1300億ドルを上回っており、この分を研究や教育に充当すれば、はるかに大きな成長が見込める。

 なるほど持ち家にはさまざまなメリットがある、その一方で、労働者の移動性や経済の流動性にとってはマイナスである。

 これは流動性が求められている現在の状況に反すると言わざるを得ない。

 

・★P130~著者からの提言

 

本書では「組織革新の強化」「人的資本への投資」の2つが重点的に論じられている。

 労働者が機械と競争するのではなく、機械を味方につけて疾走するためにはどうしたらいいのか。

 

第5章:結論-デジタルフロンティア

 

・デジタルフロンティアは私たちを明るくしてくれる

・第三の産業革命がはじまっている。コンピューターとネットワークだ。

 

【読後感想】

・ありきたりと言えばありきたりな論であるが、それらを実証的に分析したところは説得性が高い著書

・組織をどう変えるかが経営や人事としては読みごたえがあった?

 

 

子供の進路戦略①

我が子をどう育てていくか

 

仕事や組織には戦略が不可欠。

戦略策定が成果の半分を決めると言っても良い。残りの半分は戦略の実行・戦略転換。

 

何事にも、戦略とその戦略実現の先にある目標を設定することで、

コミュニケーションコストが低下し、

多様性のあるチームでも成果を達成することができる。

 

我が家にもじきに子供が生まれてくるわけなので、

彼彼女の人生戦略の根本をそろそろ考えようと考えている。

 

我が家族の周りには、戦略家も多く、

進路戦略の意見交換はとても意義深い会話になる。

 

自分自身の人生設計とともに、

子供の進路戦略もじっくり検討していきたい。

 

子供の進路戦略を考える

 

本屋を眺めていると、戦略構築に向けた参考図書がいろいろとある。

family.president.co.jp

 

現在の家計や居住地域から考える方法もあれば、

完全逆算型で「こんな人生を歩んで欲しい」「こんな子供にしたい」から考えていく方法もある。

 

個人的には後者から考えたいし、

それに沿って家族や自分の人生設計を形成していきたい。

 

今後、このブログでもその思考過程をまとめていきたいと思う。

 

 

 

何をギャップフィルしているか?

 

久々にいい講演記事を読んだ。

 

logmi.jp

 

最近、ソフトバンク経営陣の著書を読む機会が増えて、

SB社の凄みをじわじわ体感しているところ。

 

身の回りのいけてる先輩も、何名かSB社の中枢に転職したことも相まって、

最近要注目している。

 

グーグル、ヤフーもしかり、少し前のDeNAリクルートもしかり。

やばい会社には、異常な人たちがたくさんいて、

彼らが切磋琢磨(正確にはただ戦い合っているだけ?)しているからこそ、

その場にいる全員が成長し、次のステージに進んでいく。

 

 

そこにいる人たちは、仕事を猛烈に楽しんでいて、

それは役職とかももちろん大事だけど、

それ以上にやっている仲間や仕事そのものが、とてもダイナミックで刺激的。

 

 

共に最高のものを作ろうとするからこそ、ストレスも大きいわけだが、

達成感や充実感が大きいのだろう。もちろん成長実感も。

 

この記事の中にも記載があるのだけど、

成長を実感する上で、とても大事な考え方があると改めて感じた。

 

それが「ギャップフィルを意識すること」である。

 

満足したら終わり

熊谷正寿氏(以下、熊谷):そういう意味では、自分を高めるための課題をどんどん行くといいんだろうね。やっぱり。

川邊:そうそう。環境ですね。

熊谷:満足したら終わりだと。

川邊:満足したら終わりですね。本当に熊谷さんのおっしゃるとおりだと思っていて、常にギャップがあるんですよ。ソフトバンク・ヤフー用語だとギャップを埋めることを「ギャップフィル」っていうんですけど、久々にグループ内の人と会うと「今、何をギャップフィルしてんの?」って必ずそういう話になる。

岡島:ドMな会社ですよね。

川邊:そうそう。何のギャップをお前は埋めてるんだと。そういう話しかしてないわけですよ。そういう環境に身を置けば、皆さんほどの胆力はつかないですけど、少なくとも何かやろうっていう。

岡島:しかも、先ほどの運動でトレッドミルの角度が上がっていくじゃないですけど、どんどん険しい山になっていくってところですよね。

川邊:大変なことになってるわけですよ。だって、営業利益倍って大変ですよ? 一生懸命逆算してやってますけど。そういうのを考えながら、僕の場合は背景が大変なことは正直あんまりないので、高い挑戦を自分から掲げてなんとかやっていく。それをまったくほめてくれない周りのすごい人たちと、またやりあうと。

 

(後振り返って)自分が成長実感があるときは、

必ず誰かとこのギャップを一緒に確認し、埋めに行っていた実感がある。

 

この言葉自体を使っていたわけではないが、

 今一体何を目的に活動をしているのかを定め、

そこに最短で近づいていないと安心することができなかった。

 

 

いかに自分にとって、安心できないギャップフィルを設定できるか。

できないと思ってしまうことをできるようにしていくことが、

今の自分にとって必要なのだろう。

 

自分の限界を決めるのは、いつも自分。

自分がその限界や登る山の高さを大きく捉えることができたとき、

自分の成長も付随してくる。

 

止まったらいけないわけですね。

チャンスを呼び寄せる人

 

チャンス=自分の節目

 

受験や就職活動を終え、決まった人生の節目や機会がない中で、

自分の人生を選択し変化をつけていく人がいる。

 

一般的には結婚や異動・転勤、出産などが人生の節目となり、

それを契機にコミュニティが変わり、意識や行動が変わる事が多いだろう。

 

しかし一方で、必然的な変化ではなく、

自ら主体的に人生に変化をつけ、自ら自分の人生に彩りを与える事ができる人。

 

彼らの特徴は一体どんなものだろうか。

別に何か哲学的なことや、思想論を語るつもりはなく、

行動特徴として目新しいものがあるとすれば、

それは形式的に他人にも提供する事ができるのではないだろうかと考えたわけで。

(何か石やブレスレットを売るつもりもありません・・笑)

 

大きくは2つの行動特徴があると考えている。

 

新しい何かに挑戦をし、うまくいかなくても続けている人

 

挑戦というと少し堅苦しいが、

結局は自分の日々の生活や思考習慣を少し変えてみることをやっているかいないかで、

その後の生活が少しづつ変わってくる。

 

例えば、今までブログを書かなかった人が、

文章を書いたり、それを人様に晒す事で

 ・文章力が変化、向上する(評価をもらったり、自分の文章力に気づく)

 ・他人に影響を与える(文章そのものや、書いていること自体に対して)

という事象が生まれる。

 

ブログを書くことが習慣になると、誰かしらその更新を楽しみにする人がいて、

内容によっては、一緒にやろう!いつも応援している!といったポジティブな反応が起きてくる。

もちろん逆の反応も然りではあるが、何か社会に対して影響を与えていることは確か。

 

大抵の人は、うまくいかなかったり、思い通りにいかないとその行動すら止まってしまう。

そこで行動や習慣を止めない人だけが、

新しい風を感じ、新しい道へと進んでいくことができる。

そう考えるわけです。

 

人に貢献できる

 

これは僕の持論ですが、

結局、何か機会が舞い降りてくる人って、

自分以外の誰かから、自分に渡すものがあって、

それをいただいて、ちゃんと結実できた人が「チャンスをものにできた」と思う。

 

つまり、起点は自分以外の誰かがいる。

もちろん自分の努力だけで何かと獲得する人はいるだろうけれど、

その努力の原動力だったり、獲得したいものに気付いた理由って、

巡っていくと自分以外のところにあった人が大半なんではないだろうか。

 

となると、自分以外の誰かが、今の自分に何を与えてくれるのだろう。

そして何かを与えたい人って、どんな人だろう。

 

これも持論ですが、

結局、自分に何かを与えてくれた人だったり、強烈に自分の印象に残っている人、

なのかなと感じている。

 

後者の場合は変な話、実力が伴っていなくても「これだったらあの人にお願いするといいかな」と思ってくれさえいい。

でもその後が続かない。

 

であれば、前者はどうだろう。

返報性の法則ともいうけれども、「好意には好意で報いる」「受けた恩は必ず返す

「そっちがそう来るなら自分も・・」といった行動に見られる、

もらいっぱなしの状態を居心地悪く感じる心理は実際にある。

お返しをせずには居られない心の状態。

 

もちろんこの状態を利用(悪用)するわけではなく、

何か特定の目的のために貢献をしたほうがいいという話でもない。

 

日々生きている中で見返りを求めず、

自分の価値を最大限発揮できるよう考え、行動し続けることが、

いつかの返報につながってくるのではないか、と言いたいだけである。

 

実際、僕にとって、

「このチャンスは自分の人生を変えるかも」

「これをやってみたかったんだ」

と思える話は大体「あなたがぴったりだと思って声をかけてみた」という切り口から、

話をいただくことがほとんどである。

 

勿論、僕もまだまだなのであるが、

物事がうまくいかないと感じている時こそ、

興味の輪を少し広げ、困っている人を助けたり、自分が得たものを他の人に分け与えたりすることが、

ひいては(いつかはわからないが)巡り巡って自分に返ってくる。

 

そう考えただけでも、瞬間的な損得判断がいかに不毛かなのかが見えて来る。

 

常に自らの価値を高めつつ、外を向いて生き続けたい。

私がこれから「学び」たいこと

勉強ではなく、学び

 

ソクラテスは言います。自分は「何も知らないということを知っている」(=「無知の知」)、それなのに、世の中で知恵のあるといわれる人たちはみな「自分が知らないということを知っていない」(=無知の無知)、この点で自分の「無知の知」は「無知の無知」に勝るのだ、と。
この考えを元に、ソクラテスは、「知ったかぶり」を痛烈に批判していった。

勉強の語源は何か、study。この言葉を一人の人にするとスチューデントとなる。ステューデントという言葉をどういう日本語に訳すかを考えてほしい。それとあわせて、勉強を意味するスタディは本当に勉強と訳していいのだろうか?と考えてみたい。

ステューデントのつづり(student)は「勉強」を意味する英語のスタディ(study)と似ていますが、どちらも元はラテン語のストゥディウム(studium)に由来する。
その意味を辞書で調べると、「情熱、熱意」という意味なのです。

ステューデント(student)というつづりは、ストゥディウム(studium)の動詞(studeo)の現在分詞形(~している状態)ストゥデンス(studens)に由来する。直訳すれば、「情熱を傾けている人」という意味になる。

勉強とは情熱を傾けること、日本人の考える学校で行う「勉強」とはあまり一致しないように思う。むしろ意欲的に学んでいる、習い事のほうがニュアンス的には近い気がする。

漢字の語源も、「勉め強いる」という本来はやりたくないことを仕方なく進めることが語源である。こちらのほうが想像に近い。

 

なので、私は情熱を傾けて何かを取得・学ぶことをstudyと呼びたいし、日本語では学習・学ぶと呼びたい。

 

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