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リーダーシップの旅に出ている彼。 『社会の役に立ちたい』 もがく、とある日本の若者。不定期に書評とか戯言とか。

【書評】「できません」と云うなーオムロン創業者立石一真ー

 

「できません」と云うな―オムロン創業者立石一真 (新潮文庫)

「できません」と云うな―オムロン創業者立石一真 (新潮文庫)

 

 立石電機(現オムロン)創業者の立石一真は、50歳から会社を大きくした経営者である。それまでの立石電機は中小企業の一つに過ぎなかった。そこから一気に世界で名だたる企業のひとつとなった。

 「オムロン」と言えば、一般には体温計のイメージが強いが、同社は日本におけるオートメーション自動化産業の先駆けとして成功を収めた企業である。無人駅システムから始まって、銀行のオンライン現金自動支払機、電子式交通信号システムなどを世界で初めて開発している。毛色は違うものの、なんと「大企業病」ということばの生みの親でもあるらしい。

 

 本著は、私が営業していた当時、元上司に勧められて数年前に読んだことがあった。当時思ったことは、立石の愚直に学ぶ姿であった。大前研一氏やドラッガー氏など、経営学においては権威である方々から、立石氏は物事の道理・真理を真摯に学び、自分の血肉にしている点にとても感銘を受けていた。もちろん、その姿勢は今回読んだ時にも同じように感じた。ただ今回は前回以上に学びが多かった。それら内容は後述していきたい。

 

 立石一真氏に対して、敬意を評している方は多い。ピーター・F・ドラッカー氏は「技術において世界的なリーダーになっただけでなく、その才能、人間性、博識、そしてビジョンにおいて優れていた」と言い、大前研一氏は「これまで300人以上の経営者と会ってきたが、こんな経営者はいない。松下幸之助盛田昭夫に匹敵する経営者だった」と伝えている。まさに誇れる日本人の一人なのではないだろうか。

 今回、本書をさらに読む深めることで、そんな立石氏から学ぶべきだと感じたことを3点まとめてみた。

 A)企業の存在は、社会の価値を上げるひとつの要素である

 B)不況時にこそ企業成長の条件を整備する

 C)人はどれだけ経験を積んでも、常に成長ができる。成長を止めるのは自分自身。

 

■ 立石一真氏の功績

 立石氏からの学びをまとめる上で、坂根氏の功績を見返しておきたい。本書で述べられている、彼の功績したことを大きく3つにまとめた。

(1)数多くの失敗と、時代を先駆けた発明の数々「まずやってみる」

(2)未来学から生まれたSINIC理論

(3)健康工学から企業の公器性の実現へ

 

 (1)については、本書にあるだけでも数多くの失敗を重ねているが、その中で確率論的に成功しているものが生まれている。結果的に、事業を拡大することにつながったり、次の新たな出会いが生まれたりと、失敗から物語が始まっているようにも思える。今でいう「ベンチャースピリット」というものが立石氏の根本に流れているように思えてならなかった。その考え方や生き方は、現代の私たちにとっても大変参考になる。

 彼は多くの語録を残しているようで「“できない”ではなく、どうすればできるか工夫する」「改善の余地があるならば、まずやってみる」「面白い、やれ!」と言った言葉の数々を聞いていると、勢いのあるベンチャー企業まさに、である。

 立石氏や松下幸之助と共に仕事をしていた大前氏が、プレジデント誌に「大経営者は消しゴムがでかい」という論文を書いていた。立石氏も松下幸之助も、簡単にオールクリアのボタンを押してしまう。一度決めたことを取り消すのに、まったく躊躇がないという。立石氏はもっと強烈で、「朝令暮改は経営者の務め」と言って憚らなかった。状況が変わったら、すぐに戦略を立て直す。戦争を経験してきた経営者は皆、俊敏である。だからこそ立石氏は、当時、孫のような大前氏の提案にも、真剣に耳を傾けていたのだろう。

 最近、ベンチャー企業を盛り立てようと、国や投資家が躍起になっている。しかし、世界を変えるような、日本を革命的によりよくしていくベンチャーの登場はほぼないと言っていい。立石一真、松下幸之助盛田昭夫各氏のように、当時のベンチャーは企業哲学や人生観が現代のベンチャーと言われる人とは格段の差があるように思えた。

(2)のSINIC理論とは、1970年代にパソコンもない時代、未来学会にて発表された理論である。オムロンでは、このSINIC理論を「経営の羅針盤」として今でも利用しており、比較的新しい事業である社会システムや健康医療機器への進出も、これに沿って事業化されているという。現代であっても時間軸のズレは修正されても、「経営の羅針盤」として活用されていくことが納得できる。このSINIC理論とは「イノベーションの円循環論的展開Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution」のことであり、未来を予測する理論である。

 この興味深いため理論を少し説明する。人類が地球上に現れてから今日までの歴史をみると、科学と技術と社会の間には円環論的な関係がある、というのが基本的な考え方である。それはどういうことかというと、新しい科学が生まれると、その科学に種・Seedをもらって新しい技術が展開される。そして、その新しい技術が社会に影響を与えて、次第に社会を変貌させていく。これがイノベーション、革新である。まずこの順序の一つの方向がある。

 もう一方、逆に社会からニーズ、必要性が出てくる。これがソーシャル・ニーズと言っている。そしてこのソーシャル・ニーズを満足させるための新しい技術が開発される。その場合、必要であれば、その技術からインピタス(刺激)を受けて新しい科学が生まれることもある。これが逆方向の相互関係である。

 このように科学、技術、社会の間には、二方向の相互関係があって、お互いが影響しあって社会が変貌し発展していくというわけである。つまり、技術を媒介として、科学と社会が円環しあっているのである。そして、それを推進しているのが、進歩を志向しているわれわれの意欲である、ということがSINIC理論のおおまかな概要である。

 SINIC理論では情報化社会は21世紀の5年間,2005年で終わっている。その後、2006年に最適化社会に入る。現在である最適化社会とは、最適情報が非常に速く、また安く手に入るような一つの社会的なシステムができあがる社会である。まさに今の社会だ。この時代には人類のすべてが、自分に最もふさわしい最適な仕事を安定して得られる時代・社会になるであろうということである。確かに近い状態になっている。最適化社会の産業は、情報化産業から生まれている。この最適化社会へ向かっていく考え方の基本的前提をなしているのは、人間は本来“種の保存”が本能的なものなのだから、本能的に生命の危険を避ける方向、つまり情報と正しく付き合おうという行動を促しており、さらに自分の将来の幸福をもたらす可能性の高い方向に行動する、という考え方である。そして、2025年からは自立社会に突入すると言っている。自律社会の実現は、人類が物質文明の壁にぶつかって、精神文明の方向にハンドルを切り替えることを意味している。つまり、物の世界から心の世界が重視される社会になるというわけである。兆しが起き始めていることを見ると、その通りになってしまうのではないだろうか。この理論は別途きちんと理解しておきたい。

 (3)については、立石氏の人生後半の話である。立石氏は、苦楽をともにしてきた最愛の奥様を癌で亡くされている。そのときから「企業は社会の公器である」という考えのもとに、人々の健康に役立つ製品をつくらなければいけないという新たな使命感が芽生えたという。そして、東洋医学と科学技術を結びつけたいという理想のもとに「東洋医学物理療法自動診断機」を製作している。ただ、あまりに特殊で実用に供されることはなかったようだ。しかし、この製品の思想から現在のオムロンの健康医療事業が芽生え、現在もっとも知名度のある事業部門として育っていった。

 私がオムロンの社憲にある言葉で感銘を受けた言葉がある。

「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」

という一文だ。企業は、そこで働く人々は何のために存在しているのか、という問いに対してシンプルに提示している。まさに社会の公器を目指した姿勢が見てとれる。

 

■立石一真氏から学ぶこと

A)企業の存在は、社会の価値を上げるひとつの要素である

 今の世の中でいうCSRCSVといった概念を、真っ当なまでにやり遂げた人物は立石氏であろう。本著でも創業期からの顧客との対応が鮮明に描かれているが、立石氏は相手の多様なニーズに合わせて創意工夫して製品を試作していく。その分クレームも来る。立石氏は「クレームは信用を得る第一歩」と意に介さない。クレームに即座に対応すれば,技術力も信用も高まると考えていた。そういった過程を多く踏むことで、企業としての底力をあげ、企業を技術力・信用を伸ばすことによって,企業は近隣の地域社会に豊富な雇用を与えることができ,その結果,地域社会に対して好ましい隣人になれる。得意先に対してはよい仕入先になり,仕入れ先に対してはよい得意先になることで奉仕する。さらに企業は,当然の行為として適正な利潤の追求をするから,その利潤のうち半分くらいを税金のかたちで国家に奉仕する。その残りで社員に対しては,高賃金のかたちで奉仕する。この流れが、立石電機の経営の基本姿勢となっている。

 社憲にもその姿勢がまざまざと現れている。

  われわれの働きで、われわれの生活を向上しよりよい社会をつくりましょう

立石氏はこの組織の社憲を通じて「会社は生き物であり,たえず変化している。経営者たる者は,常にその変化を見守って組織の修正を早手回しにしないと,大変な事態を招くことになる」という過去の失敗事例からの反省を忘れないようにしていたという。常に易きにつかず、難きに挑戦するという性があってこそ、利益ばかりを追うだけでなく、社会にとって価値ある取り組みを思考し続けることができたのではないかと思う。「企業は社会に役立ってこそ存在価値があり、利潤を上げることができ、存続していける」という信念を表している。立石氏は、企業の役割を、潜在するニーズを感知することにより、暮らしをより豊かにする、また社会の課題を解決する製品・サービスを先駆けて提供し、社会に役立つことと言っている。

 

B)不況時にこそ企業成長の条件を整備する

 立石電機は、外部環境の変化や自社の新規事業が当たらず、幾度となく倒産や経営危機臭いっている。そこから復帰してきた裏には、経営哲学や商品開発力ではないところでの経営努力が見えて来る。「企業は利益を追求するもんや、それは人間が息をするのと同じや、そやけど人間は息をするために生きてるんか。ちがうやろ」これも立石一真氏の言葉。何かやりたいことがあって、それを実現するために儲ける。生きるために、必要な事以外はしないということもさしている。

 そんな立石氏は、企業成長のために必要な環境整備を以下のように置いている。

 一、経営理念を明確に打ち出すこと

 二、人間の本能的行動に従うこと

 三、本能的行動が企業を伸ばすよう施策目標を作ること

 四、働きがいある環境を作ること

 五、全員が参画できるようなシステムを作ること

 六、社会のニーズを早くとらえること

 七、常に自主技術の開発に努めること

これらを社員に提示しし、一致団結して、不況を乗り越えた。「不況になると苦しさが押し寄せてくる。その苦難を不屈の精神で克服し、他を制圧することだ。その勢いを駆って景気到来とともに一気に飛躍することだ。これが成長の秘密である」ともいい、悪い状況だからこそ、知恵を絞り、新しい進み方を組織全員で考え抜く。その結果、企業として成長する。未来学をやっていた立石氏だからこそ、明るい未来から考えた、哲学に沿った経営戦略・戦術を全うできるのではないだろうか。

 企業が成長し、ある一定期間たつと「大企業病になる」という話も立石氏が語っている。立石氏の語るこの“大企業病"という企業診断は、新聞・雑誌などで紹介されると一気に社会に広がり、いまでは経営用語としてだけでなく日用語として使用されるほど本質を鋭く突いたものとして使われている。そして、大企業病克服に「起業家精神の復活」を説いた立石氏の思想とその実践に触れるにつれ、自らの当事者意識をより問い直さないといけないと、姿勢が正される気分である。

 

C)人はどれだけ経験を積んでも、常に成長ができる。成長を止めるのは自分自身。

 

 大前健一氏は、「50歳を過ぎて事をなした人は、伊能忠敬と立石一真しかいない」と断言するほど、高く評価している。立石氏がすごかったのは、五十代から多くのことをはじめたことであろう。それも余裕がある時ではなく、会社も家庭もドン底の時にである。余裕があるから学ぶのではない。学ぶことで余裕が出来てくるのだ。本書を読むとそれがよくわかる。

 世の中の通説としては、人は経験が積み重なってくると意思決定の幅が決まってきて、学ぶ意欲が少なくなってきて、成長の速度がゆったりと、小さくなっていく。年齢と成長は相関し、年齢を重ねるにつれ成長が見えづらくなってくる。よくいう話である。しかし、立石氏にはその節を感じない。むしろ人生の積み重ねがあるからこそ、もっと新しいことを知りたい、もっと世の中を知りたい、もっと価値を出したいという欲が滲み出てきている。私自身、どうしても人生を生き急いでしまうことが多いのだが、じっくり価値を見出すことも考えたいと思えた著書になった。

 立石氏の人生訓である「最もよく人を幸福にする人が最も幸福になる」という言葉は現代でも使われることが多い。幸というものは、直接つかめるものではない。人を幸せにすることの反応として、自分が幸せを感じる。周囲がすべて幸せになっていれば当然、自分もいつのまにか幸せになっていく、そういうことであろう。奉仕優先・消費者優先という思想である。

 請負会社との関係でも出てくるのだが、自分だけが幸せになりたいということで人を押しのけても、元の自分の利益ばかり追う自己優先の考え方は間違っている、と強く言っている。哲学がしっかりしていなくして企業の反映はありえない。企業の要求なくしてお互いの幸せもありえない。